第70話    「名釣り場必ずしも・・・」   平成17年08月07日  

庄内の磯には名釣り場が数々ある。江戸時代からの釣りの歴史書「垂釣筌」にも名釣り場としての岩場が数々載せられているが、今ではその中のいくつが名場として残っているだろうか?長い間の季節風や波の浸食によりすっかり様変わりしてしまったり、さらに人工の手が加わり魚がさっぱり釣れなくなった場所等がいくつもあるようだ。そんな事でいつの間にか、釣り人の記憶から忘れ去られてしまったり、誰からも見向きもされなくなった釣り場がいくつもある。狭い庄内でさえ、そんなだから全国に目を広げれば数え切れぬほどあるに違いない。

釣の名場とはかつてその場所において地元の釣人たちが大勢の賑わいを見せて、しかも時折大型が釣れ又程々の釣果が有った場所が多い。しかしその場所が一年、二年ではなくて多少長い年月に渡って釣れて来たから、人々の記憶の中にあそこへ行けば必ず釣れると云う記憶がインプットされた釣場のひとつである。やがてそんな場所は良く釣れる場所として釣師代々名場として伝えられるようになって行った。しかしながらその名場と云えども、その時の風、波の状態や季節、時間を間違えれば必ずしも釣れる場所ではない。名釣場の中にも釣れる場所があって、季節があり、ポイントをひとつ間違えれば釣れるチャンスは少ないと云う現実がある。

長年釣をやった者であれば半ば常識の事ではあるが、昨日大釣れしたからと云って、今日も又必ず釣れるとは限らない。まして昨年まで行けば必ず釣れていた場所が、今年急に釣れなくなった等と云う事は、日常茶飯事の事である。その年その場所に何らかの条件が変わって、魚が居付かなかったからに相違ない。その何らかの条件とは大抵季節風の引き起こされた大風が原因で釣り場の底の状態が様変わりしてしまっていたりすることに由来することが多いのである。また岩場の一部が海底に崩れ落ちてしまったりする事もあり、ゴミが海底に溜まってしまう事もあるから、条件は必ずしも毎年同じ状態とは云えないのである。

また、魚が居付いてもその時の条件で餌を喰わなかったからかも知れないし、その判断は長年のキャリアが物を言う。その日の潮、風、波、時間の具合で釣場の状況は刻々と変化している。釣り人はその変化を目ざとく見極めねばならない。

名釣り場が何時しか二級、三級の釣り場に格下げされて、いつの間にか釣り人に忘れ去られてしまう事がある。また逆に二級、三級の釣り場がある日突如名釣り場として格上げされる事もあるから釣は面白い。釣り人として新しい釣り場を再発見する事も一つの楽しみともなっている。

庄内の磯場の名人たちの多くは、春の水の澄んだ時の小物釣りなどで、海底の状況を良く観察し秋に備えていた。時には素潜りで観察した者も少なくない。この状況の把握が、秋になってから物を云う事になる。名人たちは自分の釣り場をいくつか自分のものとして持っており、前夜から天気図を眺めて風や潮、波の具合を予想して場所を決める。その状況に応じて場所、竿の長さ等を決めているから、アブレも少ない。当然その場所の海底の沈み根等の把握、風がどちらから吹けば潮がどの方向に流れるか、そのポイントは何処が良いか等々すべて前夜からしっかりと予想している。現場に着いて直ぐに海を見て今日はどの方向に撒き餌を打ち、どの竿を使ってどのポイントに餌を放り込めば必ず魚が喰いつくか等と云う事はしっかりとカンピューターで計算が完了している。人が釣れているから、自分も行って見ようと云う我々見たいな素人の釣師とは格が違う。

釣り方が変わって来た昨今、釣法別に○○用の名釣り場が変わって来ても良い筈である。完全フカセの釣り場が必ずしもウキフカセ釣の名場とはならない。ウキウカセの釣り方に合う、新しい釣り場が誕生している筈である。

その昔、昔の名釣り場を探して歩いた自分の教訓がある。「名釣り場必ずしも釣れるとは限らず」、「むやみに新聞の釣り情報を信用するべからず」、「自分に釣り場は自分で作れ」、「釣れているかどうかは自分の目で確認するべし」。ただ、むやみに本などを参考に行って釣り場に向かっても、海底の状況が分からず殆んどはボーズて終わる事が多い。何回か通い実釣を経て、その釣り場の海底の状況を把握しておかねば中々良型など釣れるものではない。ボーズを覚悟して何回かの釣行を経て、初めて自分の名釣り場(ホームグランド=HG)を作ることが出来る事が出来る。